不思議な話不思議な話

普通に生活していても過去に不思議な経験をしたことが皆さんもあると思います。私も今までに経験した不思議な話を備忘録として記録しようと思います。霊感などは全くないのですが私自身でも気になっている不思議な話が結構ありますのでご紹介出来ればと思います。全て私が本当に経験した実話を紹介致します

最初のお話は私が小学生の時の話ですが、今でも実家へ帰って話をしていると話題に上る不思議な体験です

祖母(私が生まれる前に他界)が趣味で日本人形を沢山作っていたので母が嫁入りするときにケースに入った人形を沢山頂いたそうです。大きなガラスケースは3段になっていて10体以上が飾ってあったと思います。幼い私は着物を着ている人形がとても怖くて不気味に見えましたが母にしてみれば祖母の形見でもあるので大切にしていました

日本人形(こんなイメージでした)

私が物心ついたときから人形の髪の毛がボサボサで明らかに母が嫁入りした時に撮った写真と比べると髪が伸びているのでした。その頃テレビでは心霊番組で日本人形の髪の毛が伸びると話題になっていましたが、私は母よりこの人形は人毛を使っているので伸びて当たり前だと聞いていたのでそのことについてはあまり不思議に思わなかったのですが、あまりにも伸びすぎていて(腰の下辺りまで)ボサボサを通り越していて全体が不気味に見えていました

そんなある日、実家を改築することになって母親も人形の手入れが出来なくてこのまま髪の毛がボサボサの人形を飾っておくのもどうかと思ったのでしょうか、供養してもらって処分することになりました。祖母からの大切な贈り物なので実家近くのお寺で行われる人形供養の日に持っていって供養をして引き取って貰うことになりました。しかし当日母が人形を運ぶ為にケースから箱へ詰め替えていると突然雨が降り出し大きな箱を抱えて雨の中を運ぶのは無理ということで断念したそうです

人形供養の様子(イメージ)

そして翌年、朝から良い天気だったのでまた母親が箱に移していると先程までの天気が嘘の様に大雨になってその年も見送ったそうです。流石に2年続くと気持ち悪いので母から来年は事前に箱に詰めておくので私に自転車で一気に運んでくれないかという話がありました

それから1年経って人形供養の日、今日は朝から快晴で雨が降る気配も全くない日でした。事前に私は友達にも頼んでおいて2台の自転車でそれぞれ段ボールを荷台に積んで一気にお寺さんへ運ぶことにしました。自宅からお寺さんまでは数百メートルの距離なので直ぐに到着しました。そして事前に事情を説明していた友人と今日は雨は全然大丈夫やなと言いながら、人形を下ろしていると今でも信じがたいのですがあれだけの快晴だったにも関わらず曇りはじめているのでした

そして全部の人形を収めて供養が始まると既に大雨になっていて、私と友人は土砂降りのなかズブ濡れになって家に帰ってきました。そんなに寒い日ではなかったのですが気持ち悪いしドキドキしたこともあってガクガク震えたのを覚えています

それ以来特に何も起こっていませんが、人形には魂が宿るとよく言われていますがそういうこともあるのかな~と思います

不思議な話不思議な話

これはつい先日の話で不思議と言うか、何か見えない力を感じた話です祖父母のお墓が丹波篠山の山の中のお寺にあるのですが、親戚の殆どが大阪に住んでいるので昨年の夏、丹波篠山のお墓は墓仕舞いを行い新たに大阪市内にお墓を移しました。お墓は大阪へ移ったのですが私は篠山の深い山の中にあるお寺が好きだったので先日以前のお墓がどうなったのかを見届けたかったのでそのお寺に行ってみることにしました

お寺さん(イメージ)

いつも通りの通い慣れた道で近くまで行くと毎年数回は来るのでナビを見なくても普通にたどり着ける道です。しかも立派なお寺さんなので何も気にせず辿り着くことが出来ます。その日もいつも通り近くまで来たので何も考えずに知った道を走っていたのですが、何やら道がいつもより細く感じてナビを確認しても合っているのでそのまま走らせているとますます細くなってくるのです。今まで一度も道を間違ったことなんてありませんでしたが『あれ道間違えたかな』って思っていると横に乗ってた嫁が『いつもと道が違うよ』って言うのでナビを見るのですが目的地のお寺さんの名前も出ていたので『間違っていつもと違う道から来たのかな』って言うと嫁が『同じ名前のお寺さんがあるのかな』って言う感じで引き返せないような道幅なのでそのまま登りきったのですが、そこにはいつも来ているお寺さんがあったのです

こんな一本道でした(イメージ)

その時は何でかなって言う位で一応墓仕舞いをしたお墓が綺麗に整地されているのを確認して来た道を戻るのですが、やはり明らかに道が狭く感じるので少し不思議な気持ちになりました。もうこのお寺には二度と来ることがないと思うと寂しい気持ちにもなりました

私が思うのは、この道は20年以上通っているので道を間違うことなんて絶対ないし、大阪からここまで通って来てくれてると祖父母が迎え入れてくれてたから安心して通える道にしてくれていたのか、もう祖父母はそこに眠っていないとなるとそういう力が働かなくなったのでしょうか

考えすぎと思われるかも知れませんが、お寺さんへの道は少し曲がったりはしていますが一本道で今まで迷うこともなく間違いを疑ったことも無い様な道で二人で間違ったと思えるほど道が狭く感じたので何か不思議な力が今までは働いていたのかなと思ってしまいます