今では本州~淡路島、淡路島~四国とのそれぞれに連絡橋があり、しかも高速道路で通行できるのですが当時は連絡橋も高速道路も無かったので両方ともそれぞれフェリーに乗って渡るので大変でしたがそのせいか当時は海も今よりは空いていました
私が高校1年の時(今から数十年以上前)に友人の実家があったので生見というところに連れてって貰って当時一件だけあったサーフショップでサーフボードを借りて、確か6人でボード1枚を借りて初めて波乗りをしたのを思い出しますが、流石に6人で1枚だったのであまり波に乗った記憶はないです
薄っすらと覚えている内容は夏休みにも関わらず生見海岸で波乗りをしていたのは10人くらいだったと思います。今では考えられないですね(しかも立って滑っている人も少なかった様に思います)
当時のリーシュコード(ボードと体を繋いでるロープ)は、自転車の荷台の荷物をくくるゴム紐でした。それから6年程してから本格的に波乗りを覚えて四国へも頻繁に通うようになり、この地でも本当に色々とありました
連休があれば四国へ泊まりで来ていました。先ほどもお伝えしましたが当時は2回フェリーを乗り継いで通ったのでフェリーで思いだすのは、連休があると必ず安いフェリー会社(距離が短いところ)から予約が一杯になり乗るまでに数時間待ちになります。そうなると再び明石方面から徐々に神戸方面へ戻りながら少し運賃が高くなるが直ぐに乗れるフェリー会社を探しながら走り最悪甲子園辺りまで行ってフェリーに乗りました
ただ、その分長く船に乗るのでゆっくり寝れるのですが、ある時淡路島に到着してもなかなか前の車が動き出さないので我々の車が出れないでいると、それを見ていた船員の方がたまりかねて前の車の窓を叩いてくれました
しかしそれからが大変でその運転手さんは熟睡していたようで、不意に窓を叩かれたものだから慌ててエンジンを掛けて、そこまでは良かったのですが、急にアクセルを踏んでそのままフェリー内の柵に激突してしまいました
なにかコントを見てるようでしたが、ぶつかったので船員が慌てて大丈夫かって話しかけに言ったら今度は車をバックをさせて、方向転換して大慌てでスロープを出て行かれました
船員さんもびっくりした見たいですが、他の船員さんも我々も併せて朝っぱらから大笑いをしたのを覚えています(大事故にならなくて良かった)