幕末関連幕末

学生の頃は授業で歴史を習っていましたが全く興味が湧かず、人物名や年号を聞く度に将来私には何の関係も無い知識かなと感じてましたので、テストの為に覚えている様な存在でした

myヒーロー・高杉晋作氏

読書は好きなので色々な分野の本を読んでいます。お恥ずかしいお話ですが歴史に関して本当に無知で歴史上の人物名はよく聞くが実際何をした人か殆ど詳しく知らなかったのですが、たまたま新選組関連の本を読んだことがきっかけでドップリ幕末にハマってしまい今更ながらですが幕末の時代に、日本の未来の為に命を懸けた人々に感動を覚え、それ以来佐幕派、討幕派問わず本を読み漁りました

フルベッキ写真

興味を持つ前は、名前は聞いたことはあるがイマイチ詳細が判らない人が沢山いましたが、書物を読んでいるとその人物の軌跡や考え方などが脳にインプットされ、益々その人達に近づきたいと考えるようになりました

色んな作家さんが書かれている書物を読みますが歴史なのでだいたいは同じ様な内容になっているのですが少し違った捕らえ方などを見つけると今まで2Dであったものが少し3Dになったように立体的に見えてくるのと、当時実際に活動をされていた所縁のある場所を訪れたりすると時代は違うけれど同じロケーションに居るだけで感慨深いものがあります

絶大な人気の坂本龍馬氏

幕末の時代、ヒーローは沢山存在しますが、皆さん個人にもそれぞれヒーローが存在し、私にも沢山のヒーローが存在します。そんなヒーローに少しでも近づける様に生誕の地や生活されていた場所、お墓を探訪した内容をご紹介させて頂きたいと思います

幕末関連幕末,高杉晋作

幕末ヒーローの中で一番大好きな人物の高杉晋作氏所縁の地を訪ねてきました
高杉晋作氏のことは歴史好きでであれば誰でも知ってる超有名人なのでここでは触れませんが、日本の初代総理大臣伊藤博文からも、高杉晋作氏のことを『動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し』という有名な言葉で表現されているほどの天才革命児でした

天才革命児の高杉晋作氏

東行庵

最初に訪れたのは、高杉晋作氏のお墓がある有名な山口県吉田清水山を訪れました。ここには晋作氏のお墓や、記念館が存在します
以前より此処を訪れたかったがやっと念願が叶いました。お墓はとても立派でおうのさんのお墓や、伊藤博文らが贈ったとされる石碑があり、その石碑にはとても興味深い内容が刻まれていましたのでまた別の機会に紹介させて下さい

東行庵
以前から訪れたかった場所です

この吉田は晋作氏が創設した奇兵隊の本部があったところで、晋作氏の思いが一杯詰まった場所であると思います。記念館には、実際に使用されていた甲冑や旗、晋作氏の身に着けてられたものが並んでおり、本当に興奮しました

晋作氏愛用の具足
道中三味線
高杉晋作氏のお墓
顕彰碑(かなり大きいものです)
顕彰碑には晋作氏の事が記されています

またこの吉田には、奇兵隊第三代総督の赤禰武人氏のお墓があり、赤禰武人氏が裏切者と言われ処刑されたことが後年になって誤解であったのではないかと言われており事実は判りませんがとっても悲しい出来事だったと思います

晋作氏は、病床にて赤根武人についてこう語ったと言われています「(幕府との全面戦争回避を画策した)武人の心中を洞察することができず、生命を全うさせることができなかったのは、残念であった。」

赤禰武人氏のお墓

共に奇兵隊総督を務めた親友であったそうですが今はこの地に二人のお墓があります

晋作氏が亡くなった時にこの吉田清水山へ続く道には人力車や籠がびっしり並んでいたと聞いて晋作氏の死を悼む人の多さに驚かされます

功山寺

この地は晋作氏ら正義派の長州藩諸隊が、俗論派打倒のためにクーデターを起こした地

挙兵の舞台となった功山寺

晋作氏は三條氏へ挙兵を告げ出陣の盃を欲し、三條実美は冷酒を注いでこれを与えた。 高杉は注がれた盃を飲み干し、「是よりは長州男児の腕前お目に懸け申すべく」と挨拶をして立ち上がったと言われる有名なお寺

躍動感あふれる・高杉晋作挙兵像

晋作氏が馬に跨った銅像があり、これから出陣といった躍動感あふれる銅像です。とても有名なお寺で、訪れた時が夕方近くの時間でもあり、お寺の門に夕日が差し込んで来て幻想的な感じでした

功山寺・趣きのあるお寺です

また、ここは坂本竜馬が京都伏見の寺田屋で幕府方に襲われた時に身体を張って身辺警護していた坂本竜馬の親友である、長州藩の三吉慎蔵氏のお墓もあるところです

三吉慎蔵氏のお墓(お花が一杯でした)

下関市立長府博物館

下関市立長府博物館

ここは高杉晋作氏や坂本龍馬氏のほか、久坂玄瑞、山県有朋ら幕末の志士の書状や愛用品などが沢山展示してあり、幕末から明治維新の下関についての展示物が充実しています

館内には書状などが沢山あり時間があればもう少しゆっくり見たかったのですが、下関に来ているだけで興奮していて晋作氏以外のものが全く目に入らない状態だったのですみませんあまり覚えていませんので、次回はまたゆっくり訪れたいです

厳島神社

ここには四境戦争で高杉晋作氏が指揮する小倉口の戦闘で、敵方の幕軍総帥小笠原壱岐守が小倉城を脱出、小倉藩は自ら城に火を放って敗走した戦いで攻め入った長州軍は余燼の中から戦利品としてこの太鼓を持ち帰り、戦勝祈願を行った厳島神社に奉納したとされる太鼓が置いてあります

小倉戦争戦利品の太鼓

現在、維新顕彰並びに小倉戦争の記念行事として、ここ厳島神社では毎年八月の第一日曜日に「太鼓祭」を催しているそうです

          説明書き                  高杉晋作氏の記録       

この神社から少し出たところに居酒屋さんで晋作というお店がありました。時間が無かったので覗けませんでしたが、凄く気になるお店でした。きっと地元の英雄高杉晋作さんを偲んで付けられた屋号なんでしょうね

高杉晋作終焉の地

厳島神社から直ぐ近くに晋作氏が亡くなられた地が柵で覆われて残されています。私が訪れた時は終焉の地という目印が立ててあり、少し暗い感じの小さいスペースでした。後日テレビで紹介されたときに見ていたら綺麗に整備され当時より明るい雰囲気でに変わっていて石碑があるようでした

晋作氏終焉の地

櫻山神社

厳島神社より少し車を走らせると桜山神社があります。趣きのある階段を上ると広い境内があります。ここには
“高杉氏の発議により殉国の志士の霊を祀る招魂場があります(櫻山神社が日本で初めて設立された招魂場だそうです)"

櫻山神社・良い雰囲気の階段です

さらに吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、山県有朋など明治維新の功労者である長州の指導者の霊も合祀され、今日では396柱の神霊が祀られているそうです

日本初の招魂場
桜山神社招魂場

本殿の左側にある看板には竜馬の妻である“お龍”が坂本龍馬の死後に下関を訪れ、この招魂社の運営に関わっていたと記されていました
“またお龍が詠んだと言われる句『武士のかばねはここに櫻山花は散れども名こそ止むれ』も刻まれていました"

お龍さん

他にも訪れた所、写真が沢山ありますので時間があれば追加する予定です。