サーフトリップサーフトリップ,伊良湖

伊良湖は愛知県の渥美半島にあり、サーフトリップといっても比較的近い距離なので殆どは日帰りで移動をしています。砂浜がとても綺麗で波に力があり、またロングビーチと呼ばれるだけあってとてつもなく長いビーチがある素敵な場所です

ロングビーチ 広い美しいビーチ

渥美半島は赤土の畑とかも多く、異国情緒が感じられるまさにサーフトリップには持ってこいの場所なのですが、結構潮流が早くサーフィンのメッカっていう感じのポイントです

ここでも民宿で忘れ難い思い出があります
いつもの様に民宿を探して泊まるのですが、その日はあまりお客さんが居ないということで民宿の女将さんが食事の用意をしながら一緒にのんびりしゃべっていました

その時は我々の夕食の魚料理を並べられていたのですが、波乗りをやっている割には何を隠そう私は魚が大嫌いで海の幸が苦手なんです。

そこでおばちゃんと話が盛り上がって仲良くなったついでにおばちゃんの夕食も魚料理ですかって聞いたら、なんと鳥の唐揚げって言うじゃありませんか、それならこの魚料理と唐揚げを交換して貰えませんかって頼んでみたのです

女将さんは折角のお魚のご馳走なのに家のオカズと交換してくれってお願いされたのは初めてってビックリされてました。その代りおばちゃんも条件出して良いかって言うので、何ですかって聞いたら今日のお客はあなた達だけで客用のお風呂を焚くのが面倒なんで、うちの家の風呂に入ってくれて頼まれて、了承し交渉が成立しました

風呂上がりにリビングで飲んでたら女将さんが娘の進学で悩んでいるので相談にのって欲しいって頼まれ、酒の肴がないので店のお土産の試食品とか、お昼に焼いてた蛤の残りとか食べさせて頂いて、相談にのることになりました

その相談にはとんでもない後日談があって、実はそれから20年以上経ってから驚かされることになるのでした。が、その話は最後に

相談というのは、娘さんが勉強するために大学へ行きたいので都会へ出たいということでした。ワシ等アホ4人は月並みの返答で『都会は危険が一杯なので地元で大学へ行けば』とか、『一人暮らしは大変だ』とか、娘さんの情熱とかを聞いて無かったもので思うままにしゃべって終わりました

それから伊良湖へは日帰りばっかりで海から上がればすぐに帰路に着いてましたが、あれから20年以上経ったときに、私は伊良湖へ波乗りに行ったついでに懐かしい民宿(お土産屋さんもやっている)を覗こうと思って立ち寄ったところシャッターが閉まって張り紙がしてありました

お土産屋さん&民宿 

え~もうやめたのかなって張り紙を見たら、その民宿の向かいに大きく綺麗な立派なホテルがあってそちらに移ったということでした。そういえば予約するときにこのホテルも載っていたのですが、結構高い値段で人気があるって書いていたのを思い出しました

挨拶に寄りたかったのですが、あまりに敷居が高いので今回は見ただけで帰ってきました。それからネットで調べたのですが、実はその娘さんが経営学を学び接客業を極めたみたいなことが書いてあり大成功されている様なことが載っていました

それを見てビックリしたのと同時に、あの時偉そうにしょうもない話をしてしまったなって当時の皆が集まった時にそんな話になり、むしろ話を聞かせてもらうのは我々だったなってことになりました。いや~恥ずかしい

サーフトリップサーフトリップ,ハワイ

ハワイへは19歳の時に初めて行ってから大好きになり、世界NO1のリゾート地と呼ばれるだけあって、サーフィンも最高に楽しいのですが居てるだけで本当に幸せな気分になれる場所です。何もかもが楽しくて、ここでも思い出は沢山あるので紹介させて下さい

パイプライン

初めて行った時はサーフィンに全く興味が無く、何の前情報も無くツアーで行ったのであまり思い出はありませんが当時は治安も悪く、着いた当日にツアーの何組もスリに遭ったのを覚えています。やはりここはアメリカで日本とは治安が全然違うことを思い知らされましたが、地元の皆さんはとても陽気で気候も良く、マイナスなことを含めても絶対また来たいなあって思えるところでした

2回目に訪れた時は、もうサーフィンに夢中でビデオとか雑誌で予備知識を結構蓄えていたので、見るものが何故か懐かしいような確認作業をしている様な感覚でした

パイプラインのチューブライディングは鳥肌もの

その時はノースショアで行われるパイプラインマスターズ(当時は丸井パイプラインマスターの名称)の開催期間に日程を合わせて訪れました。今までビデオでは見てたのですが、生であの波を見れるので大興奮でした(実は初めて訪れた時も冬のノースショアで大波を見たのですがサーフィンに興味が無かったので記憶にないんです)

パイプライン近くの学校の駐車場が開放されていて、車を停めてビックリしました。海からかなりの距離があるにも関わらず、波の砕ける轟音が聞こえてくるのでした。今でもその衝撃は忘れません

大会本部の横を通ってビーチへ向かうのですが、雑誌でしか見たことのない選手が一杯居て、また本部からすぐビーチへ抜けたところが選手の控え場所になっといるのですぐ近くで見ることが出来ました。パイプラインの波を見たときの感動は今でも鮮明に覚えています。また選手がチューブから出てくるときなんかは、ギャラリーの声援で大盛り上がりで素晴らしい雰囲気を味わうことが出来ました

ビッグ・パイプライン

日本人プロの健闘している様子も見れ感動しました。沢山の日本人プロサーファーがノースで見ることができました。なかでも久我孝男さん、糟谷修自さん、関野聡さんの日本のBIG3も見ることが出来、関野聡さんは確かサンセットビーチ付近でもお見掛け出来て感動しました。(関野さんは伊勢でも何回かお見掛けしましたけど)

関野聡さん いざヒートスタート

今では様変わりしてしまいましたが、パイプラインの入り口の路地にはロペス氏の家があって、よく雑誌で見ていたステッカーが一杯貼られた標識を横目に降りていくとビーチが広がる最高のロケーションでワクワクしたのが印象的です

現在はボルコムハウス(以前?はロペス氏の家)

ハワイでは思い出が一杯あるので、また紹介させて下さい

この情報を更新している時、デレク・ホーさんが亡くなったことを知りました。ハワイ初のワールドチャンピオンのデレクホーさんが7月17日55歳でこの世を去りました。心臓発作だそうですがとてもショックです

宮崎プロで撮ったデレク・ホーさんの写真です
この板も欲しかったなあ~。本当に残念です。

ハワイでもそうですが、宮崎でもライディングしているところや一緒に写真を撮らせて頂いた本当に素晴らしいサーファーがまた一人亡くなったことが残念です。1986年パイプラインマスターズの決勝でクローズに見えた波から再び姿を見せて両手でガッツポーズをした時に物凄く感動したのを覚えています。心よりご冥福をお祈りいたします。